塩谷 惟守(しおのや これもり)は、鎌倉初期の下野国塩谷郡の武将。
事績
塩谷惟広の嫡男として生まれる。本家である塩谷氏が藤原系の朝業によって継承され、源姓塩谷氏の血筋は惟広やその子惟守によって守られてきたが、建保元年(1213年)の和田合戦において和田義盛に組して討死する。この戦い以降、源姓塩谷氏の勢力は鎌倉での地位を失い、急速に衰退していく。
脚注
参考資料
- 『喜連川町史』


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塩谷 惟守(しおのや これもり)は、鎌倉初期の下野国塩谷郡の武将。
塩谷惟広の嫡男として生まれる。本家である塩谷氏が藤原系の朝業によって継承され、源姓塩谷氏の血筋は惟広やその子惟守によって守られてきたが、建保元年(1213年)の和田合戦において和田義盛に組して討死する。この戦い以降、源姓塩谷氏の勢力は鎌倉での地位を失い、急速に衰退していく。


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