放生津(ほうじょうづ)は、富山県射水市(旧新湊市)の海岸部にあった湊町。新湊市旧町部に相当する。現在の射水市放生津町(ほうしょうづまち)。
由来
地名は同所の放生津八幡宮で10月2日に行われている放生会にちなむ。「山王町」「中町」「奈呉町」の3旧町で構成される。近くの潟湖は放生津潟と呼ばれた。「放生津の祭」によれば鎌倉時代に奈呉から放生津へと変わったとされているが、「しんみなとの歴史」によれば両名称が併存していたとされている。
歴史
鎌倉期に越中守護所が置かれた(放生津城)。室町期になると石清水八幡宮領となり、守護畠山氏に代わり射水郡・婦負郡守護代の神保氏が支配した。1493年、明応の政変で自害した畠山政長の重臣であった神保長誠は、政変で幽閉された将軍足利義材が脱出して放生津に下向したため、正光寺を将軍御所として改装し迎えた(放生津幕府)。永正17年(1520年)に放生津城は越後守護代長尾氏の攻撃で焼失。近世に入り、加賀藩前田家領となった。
脚注
出典
関連項目
- 放生津八幡宮
- 放生津曳山祭
- 放生津城
- 放生津潟
- 射水市立放生津小学校
- 北前船
- 内川 (富山県)




