相馬 胤晴(そうま たねはる、? - 天文15年4月20日(1546年5月19日))は、戦国時代前期の武将。古河公方の家臣。下総国守谷城城主。相馬胤貞の子。正室は簗田高助の娘。子には相馬整胤、娘(相馬治胤正室)。通称は小次郎。なお、治胤の子とされる相馬秀胤・胤信兄弟(後の江戸幕府旗本)を胤晴の子が治胤の養子となったものとする説がある。

生涯

相馬胤貞の子として誕生した。出自は相馬氏の嫡流とされる下総相馬氏。

古河公方足利晴氏に仕えたが、天文15年(1546年)の河越城の戦い(河越夜戦)で戦死したとされている。家督は嫡男の整胤が継いだが、わずか3歳であったために後に内紛の一因となった。


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