藤原 忠綱(ふじわら の ただつな、生年不明 - 寿永2年(1183年))は、平安時代末期の武士。上総介・藤原忠清の嫡男。平氏政権の有力家人の一人。弟に忠光、光景、景清がいる。

治承3年(1179年)11月、平清盛のクーデター(治承三年の政変)に伴う除目により左衛門少尉に任ぜられ、検非違使宣旨も受けた。翌年5月、平氏追討の兵を挙げた以仁王・源頼政の追討(以仁王の挙兵)にあたって源兼綱らを斬り、その勲功により従五位下に叙位され、それ以後、上総大夫判官と呼ばれた。寿永2年(1183年)、源義仲の追討にも参加したが、倶利伽羅峠の戦いで戦死した。

参考文献

  • 角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。

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F634 藤原顕綱

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